Archive for 4月, 2009


5月1日大町の商店街通りで朝市がはじまる。

信濃大町駅より商店街通りを北に300mほどの所で5月1日より朝市が始まります。

毎週金曜日の朝10時より12時まで11月まで開催されます。

ちなみに5月1日は野菜にはまだ少し早いので今回は<山菜市>となります。

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<わちがい>さん前の男清水の水場前では美麻地区の皆さんが

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<塩入家具>さん前の女清水の水場前では八坂地区の皆さんが山菜を販売いたします。

6月からは、おんなみず育ちの野菜を美麻地区、八坂地区の皆さんが本通りの東側で、

おとこみず育ちの野菜をアルプスのふもとの平地区の皆さんが西側で

販売します。やっと大町水物語のとおりになります。

おんなみず育ちの野菜が美味しいか、おとこみず育ちの野菜が美味しいか、これは

本当に楽しみですよ。育つ水が違えば味が違って当たり前ですから、皆様のご判断をお聞きするのが楽しみです。

水がきれいな野菜は野菜ジュースにした時にも際立って美味しいんです。

さ~、5月1日ですよ~。いらっしゃい、いらっしゃい、朝採り野菜市にいらっしゃい。

ごめん、今回は<山菜市>だった~。

大町市の川について。

大町市内は江戸時代に飲み水の川と生活用水の川とに分けられていて

その江戸の水路が現代まで残っているのです。

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これは現代の地図に江戸時代の道と水路を落とし込んだものです。

中央(緑の太い線)の川が生活用水にしていた川です。なべや釜を洗った川なのです。

この中央の川は明治21年まで存在しましたが現在はその川は二つに分けられ

商店街の歩道の下を流れています。

その両脇に流れる川(青い線)が大正11年まで飲み水として使っていた川です。

現代の水路は江戸時代とほとんど変わっていません。

東は女清水、西が男清水と呼ばれています。

江戸時代は短冊状に土地が区切られていましたから、そのせいかもしれません。

 

なにげなく見る建物でもそばに寄ってみると

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土蔵の下を昔飲み水だった川がながれています。この町の人は当たり前と思っている事でも

これは、あたりまえじゃないですよね。

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こんな不思議な風景が多く沢山あるんです。

この川をめぐって歩きませんか?

さかのぼると鎌倉時代に整備された川が江戸時代を経てこの現代までほとんど変わることなく

残されている、こんな街を自分の足で探索してみませんか?

新しい街歩きの楽しみがこの川や江戸の古道によって皆さんの共感を得られたらうれしいです。

大町市へ来たらもっと、もっと新しい発見があると思いますよ

さ~いらっしゃい、いらっしゃい、大町市へいらっしゃい。

若王丸について 北条屋敷の巻

2009 年 4 月 22 日

 

ホタルと若丸(にゃくおうまる) 北条屋敷のお話です。

鎌倉時代のお話です。北条時政の嫡男として16歳で戦に出た若王丸は戦場で右腕を切り落とされてしまいました。若王丸の父母はとても悲しみましたが切られた右腕が戻るはずもありません。

父母は家来の吉澤三郎を若王丸の右腕がわりに同行させ、戦の少ない信州の大町で過ごさせるようにたくさんのお金を持たせて送り出しました。

二人はやっとのことで大町の西に位置する平村にたどり着き、若王丸は残った左手でえんじゅの木を植えました。その傍らに住まいを作り周りの村人たちと仲良く暮らし始めました。

もともと信州の雪深い山のふもとですから水も冷たく作物も多くは取れない土地柄です。

その冷たい水のせいか初夏とはいえ数えるほどのホタルしかいなかったのですが、不思議なことに若王丸がここに住み始めてからそのホタルが年々増えていったのです。

ある初夏の夜、家来の吉澤三郎が庭に下りると幾万と言うホタルが、若王丸の植えたえんじゅの樹に集まり、誰かを待っているかのように天に向かってまるで矢のような形で光り始めました。

そのあまりの光景に驚いた三郎は部屋にいた若王丸に大きな声で呼びかけました。

「若様、若様、一大事でござりまする。」

若王丸が外に出るとその幾万のホタルは徐々に樹を離れ若王丸に向って飛んでいったのです。

なんと、すべてのホタルは若王丸の切り落とされて無いはずの右腕に集まり光る右腕となって動き始めたのです。そのあまりの神々しさに三郎は腰を抜かしてしまいました。

その話を村人たちも聞き、神か鬼か、どちらにしても皆で見にゆこうと言う事になり生垣に隠れてそのホタルの右腕が動き出すのを今か今かと待ちました。

若王丸が庭に出ると幾万のホタルが集まり、光る右腕となったその時に、皆が隠れていた生垣から小さな女の子が婆様の手を振り切って若王丸の前に飛び出してしまいました。

「若様、若様は鬼じゃないよね、吉澤さまが言うように若様がもし神様なら、婆様の曲がった腰をまっすぐにしてちょうだい。」

若王丸の光る右腕が静かに高く上がりその指が天を指すと、その右腕から幾万のホタルが離れ、生垣に隠れていた婆様の腰に向かって飛んで行きました。

婆様の曲がった腰が大きく光ってしばらくするとホタルは飛び立ち、また若王丸の光る右腕に帰りました。すると驚くことに婆様は腰を伸ばして真っすぐ立っているではありませんか。曲がっていた腰が治ったのです。

この噂を聞きつけてひと目だけでも若様を見ようと、沢山の人が押し寄せるようになり、いつからか人々は若王丸のお屋敷の事を北条屋敷と呼ぶようになりました。

いまでも北条屋敷跡としてその名が残り、ホタルが舞うのを見るとこの土地の人々は若王丸の力を分けてもらおうと右手を天高く突き出すのです。もし右腕に北条家のホタルが止まった運の良い人は特別の力が授かり、どんな願いでも叶うと今でも語り伝えられています

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ホタルのいない時期は北条屋敷跡近くに若王丸を祭った若宮社がありますので。どうぞお参り下さい。

500年以上もの長い間この地域の人たちの心に残り手厚く祭られた若王丸は今でもホタルを操っているのでしょうか。会ってみたいものですよね。若宮社を訪ねたらきっと会えるはずですよ。

吉澤三郎様の子孫の方々も周りにたくさん住んでいます。いまでも吉澤姓のままですから、もし話が聞けたとしらあなたも相当運のいい方ですよ.

毎年4月22日は若宮社の祭典です。吉澤さんたちがたくさん集まりますよ。10時からですが一度は見ても良いかもしれません。鎌倉時代の若武者が浮かんでくるかもしれませんね。

大町市には長い歴史を堅く守り続ける人たちがたくさんいるのだ~、と、いつも通りに決めたところで桜がいま満開です。

 で一句、五百年桜一枝春祭り

いらっしゃい、いらっしゃい、さ~いらっしゃい、大町へいらっしゃい。

トニー嵐丸

桜前線と山火事は関係があるそうですよ

 

4月18日(土)午後3時00分ころ消防車を見ました。サイレンと鐘を鳴らして北に向かっていくので、車を止めて北の空を見ました。

すぐ近くで白い煙が上がっていましたが畦焼きだろうと思いましたがそれにしては煙の量が多いな~、畦焼きが燃え広がったのかな?

すぐに車を発進させましたよ。300メートルぐらい先で見えました。

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こちら見える高さ3メートルほどの土手はすでに真っ黒に焼けてその上の平から赤い火が幾つも昇っていました。

山裾でもあるので早く消さないと、消防士の皆さんが手前の川にホースを突っ込みました。

そのホースにつなげるホースを走りながら担いできましたよ。

がんばって~。早く~。

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と、思う間もなくなんと、この後1分ほどで鎮火。

素早い対応に感謝です。私の記憶ですと江戸時代にこの近くの火事から始まって市内のすべてを焼

き尽くす大火事になったことがあったはずですよ。

市内の古い家の跡地をスコップで掘る機会がありましたが、炭化した地層が確かにありましたからあ

ながち違う事はなさそうです。

 

大町市の桜がいま満開です。この焼けた土手の上に桜並木がありまして、北アルプスの残雪と桜

が、本当に絶景なんですよ。

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毎年全国的に桜の開花に合わせるかのように山火事があるそうです。

野焼のせいもあるのでしょうが今日の火事は風が無かったのが不幸中の幸いでした。

大町市は川の水も豊富ですから、火事も消せたんでしょうね。

大町水物語の会として無理やり話を水に持って行ったところで長い間御無沙汰をいたしました。

約20日ぶりですよね。やっと帰ってまいりました。長い充電期間も終わりましたので、

これからしっかりと放電させて戴きます。

大町市は宝の山に囲まれているのだ~と、いつも通りに決めたところで、

これから皆さんよろしくお願いいたします。