Archive for the ‘独り言’ Category


大町の春です。

 

大町市のバイパスから大町温泉郷に向かう途中の景色です。

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ミツバチも忙しく働き始めています。菜の花もきれいですよね。

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アルプスもきれいですし久しぶりに感動しましたよ。

地面に近い目線もたまにはいいものですよね

このあと山麓線から旧観音橋を渡ろうとした時に高瀬側の脇にテレビ局の車がいたので

そのレンズの方向を見るとなんと、私も初めてみる光景がありました。

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橋の上から撮ったんですけど、人間の営みのすべてを排除した感じがいいんです。

なぜかって?家や電柱や鉄塔などがこの写真の中からは見えませんでしょう。

猿の惑星を思い出させるような風景なんです。

自然の営みを大切にして、その隙間で人間が生きていく。

どんな世の中が来ようとも、地球(自然)を主語に考えて行かなくちゃな~と思います。

地球温暖化は人間を主語に歴史を刻んできた、そのつけが今来たんでしょう。

新型インフルエンザにしても温暖化にしても、いよいよ地球の反逆が始まったのです。

人間はまず住んでいる所の環境を整えるべきでしょう。

地域を大切に自然の声を聞きながら過ごした人の代表は?

私が思い浮かべるとしたら<小林一茶>かな~。

”ここがまあ 終の棲家か、雪5尺” 自然のあるがままを受け入れて

こんな生活が出来たらな~。

後ろから妻が 「馬鹿言ってないで、早く会社に行きなさい」ですと。

くれぐれも妻だけは、あるがままにしちゃダメですぞ。

大町市は自然がいっぱい、空気もいっぱい、水もいっぱい

人情もいっぱい溢れる街なのだ~。

さ~いらっしゃい、いらっしゃい、大町へいらっしゃい。

嵐丸

若王丸について 北条屋敷の巻

2009 年 4 月 22 日

 

ホタルと若丸(にゃくおうまる) 北条屋敷のお話です。

鎌倉時代のお話です。北条時政の嫡男として16歳で戦に出た若王丸は戦場で右腕を切り落とされてしまいました。若王丸の父母はとても悲しみましたが切られた右腕が戻るはずもありません。

父母は家来の吉澤三郎を若王丸の右腕がわりに同行させ、戦の少ない信州の大町で過ごさせるようにたくさんのお金を持たせて送り出しました。

二人はやっとのことで大町の西に位置する平村にたどり着き、若王丸は残った左手でえんじゅの木を植えました。その傍らに住まいを作り周りの村人たちと仲良く暮らし始めました。

もともと信州の雪深い山のふもとですから水も冷たく作物も多くは取れない土地柄です。

その冷たい水のせいか初夏とはいえ数えるほどのホタルしかいなかったのですが、不思議なことに若王丸がここに住み始めてからそのホタルが年々増えていったのです。

ある初夏の夜、家来の吉澤三郎が庭に下りると幾万と言うホタルが、若王丸の植えたえんじゅの樹に集まり、誰かを待っているかのように天に向かってまるで矢のような形で光り始めました。

そのあまりの光景に驚いた三郎は部屋にいた若王丸に大きな声で呼びかけました。

「若様、若様、一大事でござりまする。」

若王丸が外に出るとその幾万のホタルは徐々に樹を離れ若王丸に向って飛んでいったのです。

なんと、すべてのホタルは若王丸の切り落とされて無いはずの右腕に集まり光る右腕となって動き始めたのです。そのあまりの神々しさに三郎は腰を抜かしてしまいました。

その話を村人たちも聞き、神か鬼か、どちらにしても皆で見にゆこうと言う事になり生垣に隠れてそのホタルの右腕が動き出すのを今か今かと待ちました。

若王丸が庭に出ると幾万のホタルが集まり、光る右腕となったその時に、皆が隠れていた生垣から小さな女の子が婆様の手を振り切って若王丸の前に飛び出してしまいました。

「若様、若様は鬼じゃないよね、吉澤さまが言うように若様がもし神様なら、婆様の曲がった腰をまっすぐにしてちょうだい。」

若王丸の光る右腕が静かに高く上がりその指が天を指すと、その右腕から幾万のホタルが離れ、生垣に隠れていた婆様の腰に向かって飛んで行きました。

婆様の曲がった腰が大きく光ってしばらくするとホタルは飛び立ち、また若王丸の光る右腕に帰りました。すると驚くことに婆様は腰を伸ばして真っすぐ立っているではありませんか。曲がっていた腰が治ったのです。

この噂を聞きつけてひと目だけでも若様を見ようと、沢山の人が押し寄せるようになり、いつからか人々は若王丸のお屋敷の事を北条屋敷と呼ぶようになりました。

いまでも北条屋敷跡としてその名が残り、ホタルが舞うのを見るとこの土地の人々は若王丸の力を分けてもらおうと右手を天高く突き出すのです。もし右腕に北条家のホタルが止まった運の良い人は特別の力が授かり、どんな願いでも叶うと今でも語り伝えられています

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ホタルのいない時期は北条屋敷跡近くに若王丸を祭った若宮社がありますので。どうぞお参り下さい。

500年以上もの長い間この地域の人たちの心に残り手厚く祭られた若王丸は今でもホタルを操っているのでしょうか。会ってみたいものですよね。若宮社を訪ねたらきっと会えるはずですよ。

吉澤三郎様の子孫の方々も周りにたくさん住んでいます。いまでも吉澤姓のままですから、もし話が聞けたとしらあなたも相当運のいい方ですよ.

毎年4月22日は若宮社の祭典です。吉澤さんたちがたくさん集まりますよ。10時からですが一度は見ても良いかもしれません。鎌倉時代の若武者が浮かんでくるかもしれませんね。

大町市には長い歴史を堅く守り続ける人たちがたくさんいるのだ~、と、いつも通りに決めたところで桜がいま満開です。

 で一句、五百年桜一枝春祭り

いらっしゃい、いらっしゃい、さ~いらっしゃい、大町へいらっしゃい。

トニー嵐丸

大町水物語

女清水と男清水の物語を聞いたことがありますか?

昔々、信州信濃に大町という集落がありました。

村人達がその真中を南北に通る道を造り、生活を始めた頃のお話です。

その道の東側の村人は里山の居谷里という池の湧水を、西側の村人はアルプス白沢の湧水を生活に使い始めたのです。そして月日がたち、たくさんの子供達が生まれました。

しかし、東の集落は女の子ばかり、西の集落は男の子ばかりが生まれたのです。いつしか村人達は里山居谷里の水を女清水 アルプス白沢の水を男清水と呼ぶようになりました。

明治21年の大町市
< 明治21年まで、大町市にはこの川があったのです。>

これでは困ったと東と西の村人が話し合いをして、南北の道の真中に川を造り、両方の水を合わせて流すことにしました。そして、更においしくなった水の流れる川の両側にたくさんの村人達が集まるようになり、男も女もみんな仲良く幸せに暮らしましたとさ。、、

現在、大町商店街の東側は女清水、西側は男清水を水道水として使っています。

標高3000m近い北アルプスの上白沢の湧水(男清水)と

里山の居谷里の湧水(女清水)。

遥か昔から伝わる、不思議な湧水をお楽しみください。

二つの湧水を合わせた水は、縁結びの水、夫婦円満の水と呼ばれます。

男の子が欲しいご夫婦は男清水を、

女の子が欲しいご夫婦は女清水をのんでみたら?

望み通りのかわいい子宝が授かる・・・・・・かもしれませんよ。

大町市には友人の結納や、結婚式の出し物に使うために、

この水を汲みに来る人がたくさんいらっしゃいますよ。

みなさん、この物語のとおりに、幸せになってくださいね。

日本が変われば世界が変わる

消費拡大とかいろいろ話題に上っている定額給付金について、こんなもんじゃなく、もっと今後の日本や世界のためになることは?

夜も寝ないで考えた(笑)
そこで、 私案ですがご報告いたします。

自動車を右側通行にしましょう。・・・・いかがですか。
簡単でしょう。10年かけて日本を変えるのです。

信号、標識、教則本、タクシーやバスの乗り口、案内板などの変更、右ハンドルの車は徐々に左ハンドルになっていくでしょうし、そうすれば輸出車と同じラインで国産車も作るようになりますから当然コストもたとえ0.1%でも下がることでしょう。日本の自動車メーカーの国際競争力も上がりますよ。道路の四つ角の隅切りなど小さな土木工事も増えますよね。

当然多くの雇用が生み出されます。

若い人ならアメリカの車を買ってもいいかな?と思う人も出てくるでしょう。(もともと左ハンドルなのですから)

 

千数百万台の車が左ハンドルに変わる歴史的な決断です。
低迷している世界の自動車メーカーたちも、頑張れば日本の大きな市場が開かれるんです。
アメリカ政府としてもEU各国としても、経済摩擦も解消されるチャンスだと大変喜ぶ事でしょうし、

日本が右側通行に変わると発表したとたんに世界の自動車メーカーの株価も上がると思いますよ。日本が世界同時不況からの脱出の引き金を引くのです。

日本のリーダーシップによりこの決断をした日本そのものの世界的な地位も向上するでしょう。

海外旅行もこれからは現地ではレンタカーで動き回る日本人が増えるはずです。普段から右側通行で運転していたらほとんどの国での運転は簡単なものになるでしょう。新しい時代の日本人の誕生です。

お年寄りは右側通行につていけずに、免許証を返納することでしょう。歩くお年寄りが増えることで健康なお年寄りが増えることになります。そうすれば、医療費の削減にもつながります。エコの促進にも貢献できますよね。

 

約200万円の車が延べ2000万台、10年間に売れるとしただけでも1年あたり40兆円のお金が、車だけで動くんですよ。計算が違ったらごめんなさいね。

この結果、長年に渡って雇用も増えるし、高齢者医療負担も減るでしょうしトータルでは100兆円を超す超巨大な経済効果が見込まれます。

少しばかりの2兆円の給付金を与えて、今度は3年後に税金を上げるなどと経済の流動性を奪ってしまうやり方には怒りすら覚えます。仕組みを変えるだけで巨大なマネーが動き始めるのです。動き始めた世の中は簡単には止められません。日本が変わり世界が変わるんです。

かつて沖縄がアメリカより返還された時に右側通行から左側通行への移行が出来た筈です。今度はその逆ですが出来ない筈がありません。

We can change
大変でしょうけれど、日本人はやりぬくことのできる民族です。大きな変革であらゆる仕組みにお金を回すことが出来たらこの不況も大きく解決に向かうと思いますが、果たして……皆様は?どうお思いですか?

自分の住む土地の名前を知っていますか?

あなたは今住んでいる土地の名前を知っていますか?

なんで?知らなくちゃいけないの?って思いますよね。それは、歴史なんです。現在の北原町とか下仲町とかではなく

江戸時代?それよりもっと古いのかな?その頃の土地の名前がね。それが、すぐ解るんですよ。

なんとそれは土地の権利証なんです。

それを見ると驚きの土地の名前が書いてあるんです。例えば、私の住んでいる土地は北原町ですが、この一帯は<高畑>たかばたけ・・・と呼ばれます。

数軒の家の土地の名前ですけどね。もちろん権利証にそう書いてあるんです。

17年前にこの土地に越して来た時に、「いい所にうちを建てたね~」と、近所のお年寄りに言われました。「なんでですか?」と私が聞くと「江戸時代に鹿島川が氾濫した時に、この土地だけ高い所なので水に浸からなかった。そのために高畑という地名になったんだ」と聞いた時に驚きましたよ。権利証にその名前が書いてあるんです。

 

竈神社の東は、<宮東>また更にその隣は<天神原>権利証に書かれた土地の名前です。<天神原>なんて何か天の神様が大事なものを埋めた土地のような気がしませんか?

この古い土地名を説明できるお年寄りが生きているうちに、たくさん聞いておかなければならないと、最近強く思いますよ。もう時間が無いような気がします。

土地の名前、それも現在の名前じゃなく過去の土地の名称に先人たちの古里への思いが込められている気がしませんか。

現代の地図に古い地名を落とし込んでみると何か不思議な図が出来上がる気がするでしょう。

鎌倉時代から続く大町市の歴史は半端じゃーないのだ~。
と、いつも通り決めたところで
私と一緒に地図作りしてくれる方は大歓迎ですぞ~。大町市を江戸の古地図で散策なんて、おしゃれじゃ~ん。

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