大町市の毘沙門天のお話。

信濃大町駅より10分のところに、小さな祠ですが鎌倉時代から残る毘沙門天の像が500年もの長い間地域の人たちによって守り続けられています。

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毘沙門様、毘沙門様と愛されて500年間もの長い間、大きな神社とか大きなお寺では無いのにもかかわらず地域の皆さんがお守りしてきた、その事実に驚きます。
500年ですよ。500年。 まさに感動的ですらありますよ。

すこし話はそれますが、大河ドラマの天地人で上杉謙信が出てきます。謙信は自身のことを毘沙門天の生まれ変わりだと言っていたようです。大町は仁科の殿様の下で武田信玄の味方として動き、謙信は大敵の輩まさにその信玄の喉元の土地に,謙信の生まれ変わりの毘沙門天(謙信そのもの)の像が鎌倉時代から焼かれもせずに残されたのは、なぜでなのしょうか?

足かけ12年も戦った<川中島の合戦>の最中、武田信玄は塩を今川に止められて 大変困っていました。その時に謙信は今川の卑怯な手口を怒り、戦そのもので決着をつけようと<敵の信玄に塩を送った>のです。

塩をもらった信玄は・・ ?
はたして、何を謙信に返せたのでしょうか?

私が武田信玄だったら、にっくき上杉謙信そのものの毘沙門天はすべて焼き払うか打ち壊すはずです。

ならば、なぜ現代までこの毘沙門様が残り伝えられたのか?

みなさんの推理は?・・・・・・・・・・はたしてどうなのでしょうか。
戦国の世に生死をかけて戦った男同志の友情と言うか、義を通す男の生き様が
この大町の毘沙門天に見え隠れしませんか?

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この毘沙門様から直線距離で50mほどに、塩問屋さんの屋敷を解放した<塩の道博物館>があるんです。ぜひ、お越し下さい。牛の背中に塩が乗り人々が行きかった塩の道の歴史を見る事が出来ます。

去年から大町市の小さなお祭り、小さな伝統、小さなスポットに光を当てていこうと頑張っています。田舎であればこそ、さまざまな時代に翻弄されずに、素朴に残されたものが沢山あります。それを大切にしたいのです。

大町市の毘沙門天は、福徳財運、勝負の神様なのだ~。
近くにもたくさんのパワースポットがたくさんありますよ。

さ~いらっしゃい、いらっしゃい・・・・・大町市にいらっしゃい